2013年6月2日日曜日

ライヴ『ねぇママ あなたの言うとおり』(amazarashi)渋谷公会堂・2日目に参加しました。

 amazarashi LIVE TOUR 2013『ねぇママ あなたの言うとおり』渋谷公会堂公演・2日目に参加しました。

 ライブは開演から終始、穏やかな雰囲気で進行していました。
 変化があったのは、セットリスト最後の二曲、『この街で生きている』『性善説』の直前です。
 ボーカル・秋田ひろむの、MCがありました。

 ……いや、厳密には、MCが「あったはず」でした。

 直前の曲の演奏が止み、スポットライトに照らされた秋田ひろむが一言、「ありがとう」。そう言って、彼は次に続く言葉を紡ごうとしていました。しかし、彼の言葉はなかなか続きませんでした。彼はきっと、オーディエンスに彼が今感じている想いを伝えるために、彼自身の語彙の中から、適切な言葉を必死で探していたはずです。
 そんな彼の思考を遮ったのは、ひとりの男性客の野太い「ひろむー!」と呼ぶコールでした。あとに続いて女性客の「がんばってー!」という声もありました。それを聴いた秋田ひろむは、「ありがとう」と弱々しく笑って、

「数年前……」

 とついに口を開いたものの、その後すぐに、

「いや、なんでもありません」

 と語るのを止めてしまいました。
 それは、それでよかったのです。彼が語りたくないと思ったことなら、語らなくても別に構わなかったのです。……そうだったはずなのに。

「なんか喋ってよ~w」

 客席から、いかにも頭の悪そうなミーハー女の、そんな嘲笑するような声が響きました。客席は極めて静かでした。

 秋田ひろむはそれから何も語らず、『この街で生きている』から続いて『性善説』を歌い上げ、その二曲の中で、彼は何度も、何度も、言葉を失いました。そこに至るまで、とてもいいコンディションで数々の楽曲を歌い上げていたにも関わらず。
 私は秋田ひろむが歌い上げる『性善説』を聴きながら、怒りに震えて拳を握りしめ、歯を食いしばっていました。

否定されてしまった性善説の 後始末を押し付けられた僕らは
逃げ場もなく小箱に閉じ込められて  現実逃避じゃなきゃもう笑えねえよ

  「人は本来優しいものですよ」。それまで極めて穏やかにライブが進行していた会場内の様子を見て、私はそう思っていました。MCのときも、秋田ひろむが言葉を紡ぐまで、オーディエンスは黙ってその様子を見届けてくれると、思っていました。でもそれは間違っていたようです。
 たった数名の心ないオーディエンスによって、「性善説」はあっけなく否定されました。後始末を押し付けられたのは、秋田ひろむの言葉を黙して待っていた他のオーディエンスと、痛々しくも最後まで楽曲を歌い上げた秋田ひろむ本人です。あの心ない男女によって、詩の意味がより強く引き立てられてしまったのは、とても皮肉で、悲しく、そして悔しいことです。

自分を善だと信じて疑わないときは
他方からは悪だと思われてるものよ 

 秋田ひろむは、多くを語りません。
 彼の言葉はいつだって着飾らずシンプルで、だからこそストレートに、聴く者の耳に、心に強く訴えかけます。
 「負け組の歌なんて、言わせないから」。昨年7月のZepp Divercity TokyoライブのMCで、秋田ひろむは力強く、そう宣言してくれました。私はそれを聴いて、魂が震えるような、勇気をもらったような気持ちになった記憶が、あれからおおよそ一年の時を経た今でも忘れることができません。
 正直に言って、秋田ひろむの“生”の言葉が聞ける大切なMCの機会を失ってしまったことは、とても残念です──それが彼のせいではないにしろ。だから、彼から大切な言葉を奪ったあの男女を許すことは、今の私にはできないようです。
 本当に悔しい。