2013年9月1日日曜日

CD『僕が死のうと思ったのは』(中島美嘉×amazarashi)を聴きました。

 amazarashiの秋田ひろむが中島美嘉に楽曲提供した新譜『僕が死のうと思ったのは』を聴きました。

 この曲自体、2012年のライヴ『ごめんなさい ちゃんと言えるかな』の終演後の退場BGMとして、秋田ひろむのヴォーカルによるバージョンが流れていました。ですのでCD音源化としては一年越しになるわけですが、なんと中島美嘉への楽曲提供になるという。初報を聞いたときには大変驚きました。いったいどうなるのか、と。
 聴いてみて、心配は杞憂に終わったことに安心しました。私自身は中島美嘉に興味を持ったことは今までなかったのですが、やはり非常に綺麗に歌われる女性だなと、改めて認識しました。amazarashiの世界観には非常に親和性の高い歌声、と感じました。
 恐らくもともとレコード会社の思惑も大いに絡んだコラボレーションだったとは思いますし、音楽業界的に「格上」なのが中島美嘉サイドであることは間違いないのですが、楽曲・MV・ジャケットと、amazarashiサイドへのリスペクトが十分すぎるほど盛り込まれており、amazarashiファンとしては文句のつけようがありません。CM等でしか聴いたことがなかった中島美嘉の楽曲も、改めて聴いてみたいと思えました。

 私がこのコラボレーションソングを聴いて疑問に思ったのは、「なぜ秋田ひろむは、自分の肉声でこの楽曲をCD化しなかったのか?」ということ。しかも既に昨年の時点でレコーディングが済んでいたにも関わらず、です。
 私の至った結論としては、「現時点での秋田ひろむには、歌えない曲になってしまった」ということだと考察しています。
 昨秋発売のライヴDVD『0.7』の中で、秋田ひろむは自分の中で起こりつつある心境の変化を語りました。そして今春発売のアルバム『ねえママ あなたの言うとおり』は、リーディングナンバーの一つである「ジュブナイル」が純然たる応援歌であることからもわかるように、従来のamazarashiより悲壮感が薄れたような印象があります。
 先述のとおり、「僕が死のうと思ったのは」は楽曲としては昨年完成していた。そして生演奏ではなかったものの、ライブ会場でも流した。つまり、この曲は少なく見積もっても「一年以上前の時点での秋田ひろむの心境」を反映したものだと思うのです。
 そこからどういう流転があって中島美嘉の楽曲として提供することになったのかは、秋田ひろむや中島美嘉当人たち、そして彼らを取り巻く人々それぞれにいろいろな思惑があったと思うので、深く考えるのはやめました。
 ……まあ、今後の新譜に秋田ひろむバージョンが収録される可能性もありますしね。

 筆者個人の話ではありますが、私もある一時期、毎日死ぬことばかり考えていた期間がありました。生きるのがつらい毎日でした。そんなときに私を救ってくれたのがamazarashiの楽曲で、amazarashiと出会っていなかったら、きっと今自分はこの世にいないと思っています。(本当に毎日、朝も夜もずっとamazarashiの曲を聴いていたのです。)
 今は死のうとは思っていません。逆に、なんとか生き残ろうともがく日々です。そんなふうに思えるようになった今、このタイミングで「僕が死のうと思ったのは」をリリースしてくれたことに、深く感謝します。