2013年5月5日日曜日

映画『藁の楯』(監督・三池崇史)を観ました。

 映画『藁の楯』を見ました。

【あらすじ】

 性犯罪者・清丸国秀によって7歳の少女が惨殺され、経済界の重鎮だった遺族によって「清丸を殺害した者に報酬10億円」という懸賞金がかけられ、10億円の報酬を手にするために、清丸を匿っていた人物・看護師・警察内部の人間である機動隊員・ヤクザ・借金苦の会社経営者・過去の清丸事件の被害遺族など、あらゆる立場の人間が清丸の命を狙う。
 警視庁SP・銘苅率いる護送チームは、九州の警察署に出頭した清丸を東京の検察まで無事に移送することができるのか?

【感想】

 藤原竜也の熱演が光る清丸国秀の“人間のクズ”っぷりは一貫していて、中年の刑事に触られて狂ったように抵抗したり、護送チームの女性SP・白岩(シングルマザー)に対しても不穏当な態度を示したり、借金苦の会社経営者が清丸を殺すために人質に取った少女の顔を見て「ブサイク」と評価したり、護送チームが自分に手が出せないことを認識して感情を逆撫でするように煽ったり、護送チームから逃れた隙に民家で昼寝していた幼女を襲おうとしたりと、徹底して同情の余地がないサイコパス・ペドフィリアとして描かれています。
 10億円あれば人一人殺しても服役後の生活には苦労しないし、ましてやターゲットの清丸があまりにも“クズ”で、殺されることさえ社会正義の下に認められてしまいそうな人間です。人を殺すという罪悪の感情がここまで希釈される条件であれば、そりゃあ誰でも彼を殺そうとするでしょう。現実にこういう事案が発生したら、どうなるんでしょうね。例え一見して味方であっても、誰ひとりとして信用できない緊迫感は息が詰まりました。

 以下、終盤のネタバレになります。反転。

 銘苅の妻が銘苅に遺した言葉がありました。妻が死んだ事故の話の折り、即死だったような説明がたしかあったような気がしたので、そんなこと言い残す暇あったのか?と思ったのですが、まさかその違和感が伏線とは! そうきたかァー、と感心しました。物語の中で登場人物の感情が爆発する場面が好きなんですが、これも大沢たかおの迫真の演技が実によく爆発していて震えるシーンでした。
 妻を殺した運転手を許せず、それでも自分の仕事を、自分の“生業”を生きていくためにでっち上げた、偽の言葉。それさえも破壊され、清丸の口に銃を突っ込んで銘苅の咆哮、無音の暗転。場面のテンションこそ真逆なものの、「Gungrave」最終話を彷彿させる演出でした。
 九州から東京まで清丸を引きずり出して、その過程で多くの人々が命を落とし、心身に傷を負って、最後に得たものは、死刑という揺るぎない絶対正義の司法による“清丸の抹殺”。そして当の清丸は「どうせ死ぬなら、もっとやっとけばよかったなって」とサイコパスっぷりをアピール。到達地点が同じなら、もっと早く殺されていれば、多くの血が流れずに済んだのに……と思わずにはいられない。何が正しくて、何が悪いのか、そういうことを問いかける作品でした。

 全体的に気になったところはあっても不満っていうところはないんですが、唯一の不満は主題歌。作品の雰囲気に全く合ってなくて、なんでエンディングで評価を下げるようなことをしちゃうかなあ、と。「愛のむきだし」や「桐島、部活やめるってよ」ぐらい、作品の雰囲気に深く溶け込んだ主題歌にしてほしいと思いました。

【気になった】

・看護師とか、上司とか、些細な人たちが事件に関わるのに妙に言い訳がましい理由をつけちゃった点。ちょっと魔が差したぐらいでもよかったんじゃないかなあ。
・タクシーで検問を簡単に通過したところ。SPの二人も顔割れてるって言ってなかったっけ……?
・キレやすい刑事さんが「肩に弾を受けてしまってな……」で死んだ。いや、まあ、それだけで死ぬかもしれんけど、もう少し頑張れそうな気がする。どうなんだろ。
・白岩、防弾チョッキは……? タクシー運転手に着替える時に脱いだの?
・清丸の母親に対する感情は本物だったのだろうか。同情させて隙を盗むための芝居だったのだろうか。
・最後、なぜ清丸は蜷川を狙って襲いかかったのか? 銘苅を狙うなら、相応の恨み(もともと中年男性へのアレルギーがある上にさんざ殴られた)があるからわかる……と書いてるうちに、そもそも蜷川が10億も賞金を懸けなければこんな目に合うこともなかったんだから、そりゃ蜷川も恨むか。と勝手に解決。

【満足度】

 ★★★★☆。個人的にはかなり好きです。

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